人の寿命、本来は120歳まで生きられる。

寿命について考える

人の寿命はどのくらいなのでしょうか?

固体が寿命に至る前の状態、つまり、新生児として生まれ出た瞬間から人の寿命までの間に起こる、寿命への接近過程が「老化」です。
老化の期間が長いと、それを「長寿」と呼ぶし、早く起これば「短命」です。
すなわち、老化の速度を落とすことに効果があることを見つけ実践すれば、人の寿命は延ばすことができるのです。

加えて事故に遭わないよう予防すれば長寿を全うできるのです。
人間の場合、事故がなく、長寿を得る努力を加えれば、120歳が限界寿命であることが判っています。

2009年に発見された、免疫抑制剤「パラマイシン」の本来効果でない効果である「不死現象」を取り入れた場合15%程度寿命延長が見込まれるので、人の寿命は140歳程度まで延長できる可能性があります。
また、この薬品が表す「不死現象」の仕組みが正確に解明されれば、理論上「人の寿命」がなくなるのです。

しかし現在は人の寿命延長を目的とした人体への「パラマイシン」の使用は行われておりません。
免疫用製剤としての使用に限っています。
ラットを用いた実験は進んでいます。

細胞の自殺「アポトーシス」へ話を戻します。

アポトーシスは個々の細胞が構成する固体の成長のために行われます。

2種類の場面があります。
カエルを例にすると、オタマジャクシの尻尾の消滅は尻尾を構成する細胞のアポトーシスにより実現しています。
「人」であれば、母の子宮で発生するとき、胎盤を作り成長しますが、この時、一時的に「人」に不要な器官が発生する時期があります。

たとえば指の間の「水かき」や「えら」は人には不要です。この部分はアポトーシスにより消え去ります。
すなわち、固体の発生段階で激しく行われるアポトーシスが固体本来の姿を作るのです。
もう一つのアポトーシスは、その固体の生涯にわたって行われるアポトーシスです。
この現象を私たちが見える状態で知るのは、「新陳代謝」です。
アポトーシスは全細胞で行われていますが、皮膚細胞に限っては、見ることができるのでよく知られています。
「垢」や「ふけ」がこれの死骸です。
アポトーシスが行われても生体が残っているのは、個々細胞が細胞分裂していて、アポトーシスの時刻までその細胞が生体を構成しているからです。

つまり、私たちは、母から生まれてきた時の体ではありません。
全体として幾度も新替えが行われています。

細胞分裂により、新しい細胞で体は構成され、古い細胞がアポトーシスすることにより、新陳代謝が行われているのです。

発生時のアポトーシスと老化過程のアポトーシスです。

アポトーシス~自殺する細胞の仕組み

お断りしておきますが、不幸にも、私は科学的な思考しかできませんから、人の寿命に関して「霊魂」などを出動せねばならないお話は一切しません。
存在を認めない以下の扱いです。

そもそも、私は、生命が生きていることの方が自然であり、しかも、その引き金が奇跡的稀な偶然によって引き起こされたのではないかと考える立場をとっています。
つまり、希薄な確率で生きてしまったのだから、その現象が消滅するには、やはり、引き金がないと起こり得ないと考えているのです。
稀薄×稀薄の、まさに稀な組み合わせ、若しくは、ペアと申しましょうか。
それが出来上がって存在しているのが生命ではないか?と言うことです。

その稀な現象のペアは「生まれたら死ぬ」と言う組み合わせの自然現象のことです。
だから、ペアが成立していない生命もあるのです。
死なない生き物です。

原始地球の生命を説明するイラストで見かける生き物は、ほとんど、現存するスポンジと変わりません。
それは死なないので進化するチャンスがなかったのです。
不幸に、圧死のような破壊、燃焼としての化学変化により絶命するだけで、自ら生体に死ぬためのカラクリがないため、事故以外では死なないのです。

死ぬカラクリを説明できる説は二種類あります。
どちらかしかないという選択肢ではなく、両方存在します。

一つは「老化」による生存力の消滅、つまり「エイジング」。

もう一つは、染色体に存在する仕組みによる「アポトーシス」です。

細胞

この両者を持たない生命体は死ねないのです。

「事故による破壊」のみによってしか寿命を与えられない生き物です。

特別な単細胞生物には基本的に人の寿命のようなものはありません。
栄養等エネルギー供給が続き、事故が無ければ死にません。

多細胞生物はスポンジのような一部の生物を除き寿命があります。
寿命はあらかじめ決められています。
決して運命論的な着想ではなく、生体を構成する細胞に「カウンター」の役目をする化学物質(ある種のたんぱく質)が組み込まれていて、上限に達するとその細胞は自ら死ぬのです。

細胞の自殺です。

これをアポトーシスと呼んでいます。

細胞個々の自殺であって、トータルとした一個の生体の死ではありません。
むしろ、その生体の生命維持のため行われる自殺です。

ただし、全体が死に至る場合もあるし、著しく多数が死亡し、トータル固体の生命維持の継続ができない状態となると、そこで固体が死亡するのです。
事故による死亡ではなく、自然死、つまり寿命です。

生物の寿命ってどれくらい? ~死なない生物もいる。

生物とは

アメリカ映画では死ねない悲劇でしたので、死ねることは幸せなのかもしれません。

不治の病が悲惨なのは、死ぬ日がある程度予測できているからです。
誰でも、命に期限が付いているのは知っていはいますが、賞味期限が何時かを知らないから楽しく生きていられるのであって、
余命宣告を受けて何ともない人はいないでしょう。

やり残していることがたくさんあれば、余命が決まったら知りたい人もいらっしゃいます。
その考えを持つ方は増えてきているようです。
私もその中に入いるのですが、今の時代、処方されている薬品や、受けている医療が何を意味しているかぐらいは察するはずなので、「告知しない方針」自体が破綻しているでしょうね。

「ラパマイシン」という薬品があります。
医療用薬品で、免疫用製剤です。
主に「リンパ脈管筋腫症」に処方される薬品です。

医薬品が目的外に効果を表すことを副作用といいますが、副作用のすべてが「ない方がいい」と言うわけではなく、思わぬ作用が見つかり、応用する場合があります。
しかしながら、本来の効能の方が強いので、それは「応用」の域を出ることはありません。

この「ラパマイシン」という薬品に、2009年に発見された副作用として、「不死効果(延命)」があります。

しかし、「不死効果(延命)」を目的に「ラパマイシン」人に使用した報告はありません。

「ラパマイシン」の不死効果、これが事実としたら、人の寿命が永久に延びるかもしれません。
医療に革命が起こることは必至です。
くどいですが、この薬は「免疫用製剤」であることを覚えておかねばなりません。
免疫システムを破壊するのです。

事故にも遭わず、病気にもかからないでも、人は確実に死にます。
人の寿命です。

ここで、「人」としたのは、死なない生物がいるからです。
動物にも植物にもいます。
死なないので誰でも目にしているし、地球に生命が発生した時から進化していません。

進化には「死」が必用だからです。

動物では、スポンジ、つまり海綿動物です。

最近マニアが飼いだした「プラナリア」や、寄生虫の「サナダムシ」などの扁形動物も該当します。

これらは多細胞動物ですが、単細胞動物にも認められるのがあります。
生物であるか否かが問われているウイルスに至っては、「寿命」の概念を当てはめることができないものもあります。

植物では、菌類の多くが死にません。
ここでいう「死」には「破壊」を含めないでください。
たとえば浴室の「カビ」を塩素で消し去るのは死滅させたのではなく、破壊しただけです。
いくら不死身とは言え、生体を破壊されてしまえば、それを持って「寿命」とするのは不適当です。

要するに死ぬためには、死ねる仕組みが必要なのです。

地獄へ落ちると長生きできる?~死ねないことは生き地獄

人の寿命。
半導体や機械ではない生の肉体が機能を止めたとき「死」とするなら、たいていは「ジワー」とその時を迎えます。
それが急激に起こるなら、医療の出番ですが、母さんから生まれ出たその瞬間から、例外なく「死」へ「ジワー」と向かっています。

新生児

「老化」です。

アメリカ映画でヒットした「ターミネーター」で、これが機能を停止するとき、ディスプレーのアップのシーンがあって、パソコンのスイッチOFFみたいに止まってしまいました。
印象に残ったシーンです。

医師が大きなアクションで腕時計を確認し「ご臨終です。」と死亡を宣言しますが、太っていても、痩せていても60兆個(37兆と言う人もいます。)全細胞がその時刻に止まったわけではありません。
瀕死状態から死の宣告を受けても、「ジワー」としているのです。

「老化」や人の寿命を語るとき、「生死」、「生きる理由」、「不老不死」をテーマにすると哲学カテとなりがちなので、酷く読みにくい文章を書く結果を招いてしまいそうです。
ですから、その切り口で「老化」を語らないよう心がけて進めていこうと思っています。

またアメリカ映画ですが、「永久に美しく・・・」と言うのがありました。
内容は伏せますが、美しい(美しかった。)女性2人が、ある医学的処置をしたことにより、不死身になってしまったお話です。
グロテスク、かつ、ユーモラスな内容でした。
ジャンルとしては悲劇でしょうか。
その悲劇たる理由は、「死ねない」のです。
どんなに怪我をしても死なない。
もはや怪我とは言えず、壊れてしまっても生きているのです。

悲惨の極みですね。

「死ねない」と「生きている」はまるで違うようです。
本当の悲惨は「死ねない」かもしれません。
人の寿命とは幸せなものなのかもしれません。

もし、あなたが、何某かの罪を犯して老化を経て「ジワー」と死亡したら、幸か不幸かは別にして、ほとんど不死と言えるほどの寿命を得ることできます。
多分、私もです。

それはどういうことかというと、仏教では、生前の罪名(法律上の犯罪を意味していません。あらゆる悪い行いのことです。)により、
大規模地獄へ落ちる前に小規模地獄へ落ちるとに決められています。

それぞれ、そこで滞在する時間が決められていて、これが凄い時間なのです。

長崎・雲仙地獄

地獄の1年は地上の33億3千62万5千年です。
地獄では各地獄の最短滞在時間は500年ですから1兆6653億1250万年ご滞在できます。
その後本地獄でまた最短500年は約束されます。

ただし、小規模地獄は16種類しかなく、この緩衝地獄のことを「無間地獄」と言い、それぞれの地獄へ落ちる罪名が決まっています。
非該当罪人は直接本地獄へ行けます。
本地獄は8種類あって、たとえば万引きでは、「衆合地獄」に落ちます。
ここの平均寿命は2000歳ですから、地上の106兆5800億歳に相当します。

つまり、地獄へ落ちると長生きできるというわけです。
死ねないことは生き地獄なのです。